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執筆者の写真都夏晃太

「異教徒」との関わり方

こんばんは。

今週のブログを担当する都夏晃太です。

次は山の日まで祝日がないとか、梅雨で雨が多いとか、何かと気が滅入っている方もいらっしゃるのかなというそんな時期ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

僕自身はというと、雨が降ると頭が痛くなりやすいタチなので、これから始まる梅雨のことを考えて頭を抱えている、そんな日々です。

 

前回のブログは和泉せんりさんが担当でした。

前々回の山本さんの役者という仕事についての記事とリンクして、日々触れる膨大な情報に対して周りの人の意見に流されることなく自分自身で感じ、考えることの大切さを語っており、情報が供給過多になりがちな現代を生きる一人として自分自身の姿勢を見つめ直すきっかけとなるような、そんな記事でした。

皆さんはもうお読みになられたでしょうか?

 

さて、今回僕は、ある映画の話から、最近僕が考えたことをまとめようと思います。

せんりさんの前回のブログとも少し関連があるような、そんなお話です。

 

森達也さんという方が監督を務めた1998年公開のドキュメンタリー映画「A」をご存知でしょうか。

この映画は、1995年の事件で教祖を失ったオウム真理教の、広報担当をはじめとした内部の人々が、世間や周りの人々の非難や批判の中で自分たちの教団の存続のために奔走する様子を描いたドキュメンタリー映画となっています。

 

宗教、特に新興宗教と聞くと眉をひそめる方もいらっしゃるのではないかと思いますし、実際彼らのやったことというのは到底許されるものではないという点については議論の余地がないと思います。

その上で、この映画は、たとえどれだけ悪だと言われようともその教団に居場所を求めるしかない人々を対象に密着を行っています。

彼らは、自らの時間やお金、ひいては人生全てまでも捧げた教団の教祖の実態が明るみになり、その教団が数多くの人を傷つけたことを知ってもなお、懸命に生き、信仰心を捨てず、教団の教えを忠実に守っていました。

 

その内部にいない僕たちは、そんな非人道的なことをして多くの人を傷つけた教団は悪であるとか、そんな教団に関わっている人間とは関わってはいけないとか、そんな教団無くなればいいとか、そう感じるのが自然だと思います。

実際、この映画に出てくる教団外部の人たちのオウム真理教に対する視線は批判や嫌悪を通り越した痛烈なものであり、そういった視線に晒される中で、教団内部の人が自分の信念や信仰に迷いを感じている様子も描かれています。

 

しかし、ここで少し立ち止まって考えてみたいのですが、この教団は完全な悪だったのでしょうか。

作中に出てくる信者は、この教団を心の拠り所としており、どれだけ教団の悪行が明るみになっても教義を信じ、すがります。

彼らの中には、自分の人生について本気で考え、向き合い、その結果として半ば盲信のような形で教団の教えに縋り付いている人もいるのであり、それは彼らが自分自身で考えた結果であるわけです。

そんないわば末端の、純粋にその教義に魅了され、信じ、修行に励んでいた彼ら信者たちのしていたことは、悪なのでしょうか。

そんなことを考えさせられる映画でした。

 

自分で感じたこと、考えたことを大切にしていると、それは自分の中でとても大きくなっていきます。

そしてそれは時として、盲信ともなり得るのです。

彼ら信者にとってはたまたまそれが宗教であった。

最近ではすっかり定着した推し活も、スポーツチームの応援も、恋人への愛情も、それら全てが盲信となりうるし、その人にとっての「信仰」になりうる。

僕はそう思っています。

別にそれが悪いことだとは思いません。

ただ、そういった一人一人の「信仰」には、当然信仰の自由がある。

そのことだけ忘れてはならないと思うのです。

せんりさんが語っていた、自分の感性や考えを大切にすることの重要性。

それは演劇を観る人たちへ向けたせんりさんなりのメッセージであり、自戒でもあり、抱負でもあったわけですが、僕はそこに、僭越ながら他人の感性や考えを大切にすることの重要性も付け加えさせていただきたいです。

演劇に限った話であれば、観る人の数だけ見方があっていいし、観る人の数だけ感じ方があっていい。正解なんてない。

綺麗事でもなんでもなく僕は本気でそう思います。

だからこそ自分の感じたことも大事にすべきだし、他人の感じたことも大事にすべきだと思います。

当然、何も押し付けてはならない。


演劇に限らず社会全体に話を広げれば、インターネットなどの顔の見えないコミュニケーションにおいては特にそのような他人の「信仰」への配慮が少し足りないような、そんな気がします。


その人にとっての信仰は、他人に迷惑をかけたり強要したり他人を傷つけたりしないのであれば尊重されるべきだし、誰かにとやかく言われる筋合いはない。

それは宗教に限った話ではなく、人々の中にさまざまな形で備わっている「信仰」にも当てはまる話です。

ありきたりな言説ではありますが、ありきたりだからこそ忘れてしまうことも多いのが人間です。

そのようなことを大切にできる、僕はそんな人でありたいです。


「A」をみて、せんりさんのブログを読んで、僕の中で湧き上がってきたことをまとめ

たので、少しまとまりがなくなってしまいました、すみません。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

来週のブログもぜひお楽しみに。


 

担当者:都夏晃太



東京都出身。2002年5月31日生まれ。

京都大学在学中、専攻は臨床心理学。

小さい頃から映画やテレビドラマが好きで、大学入学後に地元下北沢で見た舞台演劇の演出の豊かさやエネルギーに魅了され、役者を志す。

趣味はサッカー観戦、読書、音楽を聴くこと。

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