こんばんは。
今回のブログを担当します、都夏です。お久しぶりです。
前回のブログは旗揚げ公演終演後一発目ということで、せんりさんが旗揚げ公演「バビロン・シティー瓶詰めの不安ー」について書いてくれました。
せんりさんが今回の公演で感じたこと、作品というもの自体への捉え方、役者という仕事への捉え方。
内容のぎゅぎゅっと詰まったブログとなっていますので、まだ読まれていない方はぜひご一読ください。
さて、僕からも改めてお伝えさせてください。
花色もめんの旗揚げ公演「バビロン・シティー瓶詰めの不安ー」が、無事に終演いたしました。
当初の想定を遥かに上回る多くの皆様にご来場いただき、大変感謝しております。
ありがとうございます。
今回の舞台は花色もめんの旗揚げ公演だったわけですが、花色もめんで演劇を始めた僕にとっては、当然のことながら初の舞台ということになります。
初舞台を終えての感想としましては、何よりもまず、これだけ多くの方に観ていただけたことをとても幸せなことだと感じております。
しかし同時に、僕が「役者」として舞台に立てていなかったのではないかという後悔に近い不安も感じている、というのが正直なところです。
せんりさんも書いていましたが、役者という存在は作品の一部です。役者だけが目立つのではなく、観る人にきちんと作品を作品として届けることができる人が優れた役者だと思います。
では今回の舞台を通して、僕は「役者」であれたのか。不安で仕方がありません。
考え続けるうちに、「役者」というもの自体について考え始めました。
「役者」とは、作品を完成させるために必要なタスクを的確にこなす技術者であり、作品全体で表現したいことを形にする上での表現者であり、そして内に湧き上がるものを増幅し曝露する震源地でもあると、今の僕は感じています。
言い換えれば、様々なテクニックを駆使して訓練され尽くした身体を正確に制御するある種超人的な精緻さと、精神世界という目には見えないが大きなパワーをもって存在しているものを凝縮して曝露するという極めて人間的なあり方というアンビバレントなものを同時に1つの人間の中に存在させるわけです。
どちらか一方だけでは、舞台を舞台たらしめることができません。
また、作品自体は言ってしまえば虚構なわけですが、その虚構を形にするために役者は演技というとても人間的な行為、言い換えればリアルな行為を突き詰めていくわけで、ここにもまたアンビバレントな香りがするのです。
そうしたアンビバレントな存在ゆえの不安定さにこそ、舞台で役者をすることの魅力があるのではないか。
初めての本番を終えてあれこれと考えるうちに、どれだけ必死に稽古しようともどこか曖昧にしか向き合えなかった「役者」というものの実体が少しだけ見えたような気がしています。
そんな気がすることにしておくことで、先述の不安を和らげているわけですね。
弱いもんです。
まだまだ駆け出しの若手ということで、この弱さは許してやってください。
最後に。
今回の舞台は、様々なレベルの主題が入り乱れ、人によっては難解だと感じるものだったかもしれません。
実際稽古場でも戯曲の解釈に膨大な時間を割きましたが、それでもなお全てを理解しているとは思えません。
それでも、観ていただいた315人の皆様ひとりひとりにとって、各々の現実世界につながるような「作品」となっていることを願っています。
花色もめんメンバーをはじめとする「役者」の諸先輩方の背中が見えてくることを信じてこれからも全力疾走していきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
担当者:都夏晃太
東京都出身。2002年5月31日生まれ。
京都大学在学中、専攻は臨床心理学。
小さい頃から映画やテレビドラマが好きで、大学入学後に地元下北沢で見た舞台演劇の演出の豊かさやエネルギーに魅了され、役者を志す。
趣味はサッカー観戦、読書、音楽を聴くこと。
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