言葉のプロにならねば
- 都夏晃太
- 1 時間前
- 読了時間: 4分
お久しぶりです、今回のブログは都夏が担当させていただきます。
寒い冬が終わり、日差しのうららかな春の日和となってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
僕は新学期が始まり、卒業して人生の新たなステージに旅立つ同期の眩しさに目を細めながら、今まで通り大学生を続けております。
心優しき友人の助けも借りながら、どうにか躓かずに卒業したいと思っております、切実に。
前回のブログは、我らがせんり姉さんが「下手くそ」という言葉の持つ意味とその大切さについて書いてくださりました。
一見すると悪口と捉えられかねない言葉ですが、それが成長につながることもあるのだということを書いていらっしゃいました。
まだ読まれていない方はぜひ目を通してみてください。
何かを上達しようと思ったら、まずは自分の現在地をきちんと見極めることから始まります。
かくいう僕自身も、花色で一番歴も浅く下手くそという立場ですが、今できることをきちんと見極めて、謙虚に、かつハングリーに頑張っていきます。
さて、そんなせんり姉さんのブログの内容にも少し関わることですが、みなさんは普段、会話というものをどれくらい意識的に行っているでしょうか。
僕が今大学で受けている教育についての講義の中で、何十年も教育現場に立ってきたベテランの教員の方のお話を聞く機会がありました。
彼によると、子どもたちというのは先生の言葉から、実に多くのものを敏感に感じ取っているようです。
例えば、「もう少しふざけて騒いでいても良いかな」という状態と「これは静かにしないとまずい」という状態を隔てるラインや、新任の先生に対してこの人は舐めてかかっても良いか悪いか(もちろん当人たちにとってはそこまで悪意に満ちたものではないと思いますが)という判断を、先生の声色からかなり厳密に(しかも反射的に)判断しているそうです。
また、先生の何気ない言葉ひとつから、その先生の生徒に対する個人的な見解や印象、場合によっては差別的なニュアンスまでもをしっかり感じ取るそうです。
そのためその先生は、生徒たちと会話する際の言葉はとても慎重に選ぶし、声色も状況に合わせて6段階ほど使い分けていると話していました。
程度の差こそあれ、日常生活や仕事の場面でも同じようなことは起こると思います。
相手によって声の調子を変えたり、使う言葉を変えたり。
相手の口ぶりからその人に好印象を抱いたり、逆に信頼できないなと感じたり。
他者との間で言葉を使ってコミュニケーションをとるいうことは、コンピューター同士が記号を使って交信をすることとは違い、単純な記号の持つ情報の交換ではありません。
その言葉のやり取りにおいては、言葉に付随する様々な要素によってより多くものが、場合によっては無自覚のうちに交換されます。
だからこそ言葉を意識的に大切にするのです。蔑ろにしてはいけないのです。
国語科教員が生徒に聞かれて困る質問の一つに、「すでに日本語で会話できているのになぜ国語の勉強をしないといけないの?」というものがあります。
「言葉を使えることと使いこなせることは違うから」というのがその一つの答えであると僕は思います。
言葉を使いこなすということは、上に述べたような言葉に付随する様々なものまでもをコントロールし、また同時に感じ取ることです。
そしてその際たる例の一つが、役者であるとも思います。
役者は演技のプロであり、そして言葉のプロである必要があると思うのです。
「文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いいかい、ゼロだ・・・」と村上春樹は書きました。
言葉とは文明の核であり、文化の核です。
変わりゆく時代の中にあっても、文明・文化の核である言葉をきちんと使いこなし、受け継いでいけるように、そしてその言葉のプロになれるように、今後も邁進していく所存ですので、皆様どうぞ温かく見守ってください。
担当者:都夏晃太

東京都出身。2002年5月31日生まれ。
京都大学在学中、専攻は臨床心理学。
小さい頃から映画やテレビドラマが好きで、大学入学後に地元下北沢で見た舞台演劇の演出の豊かさやエネルギーに魅了され、役者を志す。
趣味はサッカー観戦、読書、音楽を聴くこと。
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