「考える人」
フランシスベーコンという哲学者は、『読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする』
という言葉を残しています。
私は「書く事=想う事」だと考えていました。
書く為にはモヤモヤした想いがなければいけませんし、想いがなければ書く事も難しいと思います。心につっかえがあるから、それを出そうと声が出てくるんです。
この僕のブログはモヤリとした私の気持ちを確かめる為に書き、それを見てくれる人の中にもし同じモヤリを感じる人がいれば共感出来るかなという気持ちで話しております。
いつかは…手紙で、会話で、同じ悩みや違う悩みを話してみたりもしたいですね。
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「言葉にならない言葉が好き」
アドバイス頂戴〜と言いながら、頼まれて作っているらしいチラシのデザインを私に見せに持ってくる我がおじいちゃん、デザインや美術の話を一緒に出来る身内の1人、とても好き。
そんな話の中で、『デザインにしろ何にしろ「余白」はちゃんとした情報、そういう空間も役割だし大事だよね』という話をおじいちゃんとお喋りしていました。
絵やデザインでの余白も、文章を作る行間にも、言葉を伝える為の間にも関わってくる余白。人によってはそれは「ただ余っている」という風にも見えてしまうけれど、私はそれがあることが好きで、自分が何か作る際には必ずその空間を作ります。
識字率が高くなかった昔の人達は字の代わりに絵や語りで人から人へと物を伝えていました。あの時代の人たちは言葉に頼らず、自分の頭でそこに描かれているイメージや情報を膨らませて補う。そこで生まれる解釈はどんな物だったのか、今よりも発想や感情が豊かだったのではないかと私は思っています。
私の好きな作家の小林賢太郎さんは、「コンビニがテーマのお話があったら、人によって想像するコンビニが違ってくる。その余白を楽しんでもらう為に、舞台装置や小道具を出来るだけ最小限にしたい」という事をどこかのインタビューで話していました。
受け取ったものをそれぞれがコネて、膨らまして、形になっていく。それが「余白」という何にも変えられない、遊びであり、美しき伝達。僕の大事な気持ちの一つです。
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「作る人」
自分の原動力を知る、というのを前回のブログでせんりが話してくれていました。
私の起源には幼少の頃に絵本から受けた「人から人へ想いが宿っていく」という気持ちが根付いています。しかし原動力となると、起源とは違う物な気がしていて……少し悩む。でも「興味があるか」は大事かも。
小さい時から自分のアンテナを信じ、分からないや知らないと感じた物には自分から体当たりするような性格でしたから、全て「自分の五感への刺激の為」に動いていたような子です。興味がなければ動けないし、アンテナが作動すれば飛んでいく。スケベと言われる所以ですね。
思い返したのはインタビューの時にも話した、「文化祭みたいな事をしたい」という気持ち。
僕は高校の時に生徒会で文化委員長をしてました。今まで1日のみだった文化祭を「全校生徒やこれからの人達が、より楽しめる様に2日開催にしたい」というテーマで作り、話し合い、作り上げた時の話です。
そして生徒会メンバーや先生方と話し合いを重ね、無理を受け入れて貰ったり期待を頂き、文化祭は無事2日開催になりました。やり遂げた時はほんとうに嬉しかった、色んな人が楽しんで笑ってる姿を思い出して今でも泣けるくらいには嬉しかった。
あの当時自分の使命が出来た気がして、「これを僕は作らないといけない、これは人の中に残る大事な物になる」という気持ちがあったのを覚えてます。あの感覚はもしかしたら私の核なのかもしれません。
今の自分は何の為に動いているだろう。
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「道なき道を」
前回の僕のブログは3/7、「みんなに秘密にしてる事が多い」と書き記してからもうそんなに経つのですね……
あれから動画制作が始まりました。
映像制作は初めてでしたがしっかり、花色もめんPVとインタビュー形式の動画を撮影公開出来ました。そんな風になっちゃうんだとかもっとこういう画があったら良かったな〜とか、試行錯誤の中撮影と編集を請け負って作った動画です、イロイロと想いが強い動画になりました。
PVは当時感じる「花色もめん」らしさをありのまま、フレッシュに爽やかに伝えています。水色で朝の光を浴びたような感じ、ほんとにとっても華やか。
でも僕が思う花色もめんの青色は、「霧に包まれた森の中にうっすらと不気味に緑が生い茂り、青白く広がる湖畔の、景色の色」なのです。もっとしっとりしてる気がしてます。
次また僕がPVを撮るなら、その時のイメージで雰囲気が変化しているかもしれません。
はたまたインタビューというのは個人的に、その人に「影を落とす」物だと僕は思っています。その人をより深く知り、多面的に見えるようにする物という事です。
話者の今見ている希望や何に向かって進んでいるのかを感じ取る事も出来れば、話者自身も自分ですら感じていなかった不安や今立っている姿を俯瞰してしまう。多面的に見えてくる物が多く、僕はあれが好きです。
その時の心境や触れている物で人は変化していく物で、いつ何がポロッと吐き出てくるか分からない。それを「記録し残していく」のはこれからも続けたいな。
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どうぞ次回をお楽しみに。
担当者:木ノ川ゆづき
兵庫県出身、1999年8月30日生まれ。
高校から絵や立体物の制作を始め、「感覚」をテーマに目に見えない物や消えていってしまう物に対して作品を作っている。現在は絵、立体物、写真、デザインと多岐にわたり活動を進めている。
そして2022年、役者として活動を始める。目標は自分の絵や写真を使った一人芝居を作ること。
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