早いものでもう2月になってしまいました。皆様如何お過ごしでしょうか?年始から嫌なニュースの立て続け、被災した方々や被害に合われた方々がいち早く元の生活に戻られることを切に願っております。
前回実央も自分の体験から震災の事を書いていましたね。中々難しい内容でしたが、僕は良い書物だなと思いましたので、是非御一読下さい。
さて、今回は戯曲について書こうと思います。今僕は絶賛新作戯曲を執筆しています。きっかけは単純な話でして、年末年始のスペースで「今年の抱負」なるものを急遽ふられ、「戯曲の新作を2本書く」なんぞと宣言したものですから、書かなくてはなぁとおもいたったのです。
花色もめんのためには今まで1作も書いてませんので、そろそろ頃合いかなとも思ってたのでいいきっかけにはなったなと思っています。僕はその辺り腰が重いのでありがたいことですね。
しかし内容を書くわけにも行きませんので、僕が戯曲を書く上で考えていることを今回は書かせていただこうとおもいます。
まず、僕の演劇の師であります「川村毅」という人物がいます。川村さんは僕の大学時代の恩師であり、卒業後も何かと仕事によんでいただいたり、食事に連れて行っていただいたりと、とてもお世話になっています。川村さんの事は、演劇界にちゃんと身をおいている人であれば名前を知らない人は恐らくいないとおもいますが、かつては「第三エロチカ」という劇団を主催され、演劇第三世代と言われた時代に野田秀樹氏、鴻上尚史氏とならんで世代の先頭を走っておられた方です。興味のある人はWikipediaでも読んでください。あーこういう感じの芝居ねと思っていただけるとおもいます。
調べていただくとわかることで余談かとも思いますが、僕はどっぷりアングラ芝居と言われる側の人間で学生時代はそれこそエロ・グロ・ナンセンスを主体に演劇をつくっていました。川村さん以外に憧れた劇作家は唐さんと三島由紀夫です。今は時代もありましてあの時のような尖り方は中々難しくなってきましたが、僕の戯曲の根底にはそういうものが確実にあります。
川村さんはある本で演劇は「社会的思想実験装置」の側面があると書かれています。僕もそう思います。今現在の社会の実情を踏まえ、それに対する自らの考えや思い、思想を入れ込み物語上で実験する。そういう事を出来る場所であることが僕はこの上なく好きなのです。あくまで実験ですからたいてい自分の浅はかな考えでは駄目なのだと気付かされます。考えては書いて、疑って消して、また書いての繰り返しです。楽しいですが殆どは辛いです(笑)
昨今の演劇はあまり思想実験みたいなことをしません。作品としてはかなり二極化していて、思考停止して楽しむエンタメよりのものか、一つの思想だけで構成されたものが多いような印象をうけます。それが駄目だとはいいませんが、もう少しそういう作品があってもいいんじゃないかと個人的にはおもいます。
戯曲は演じられるものであると同時に読み物としても成立していなくてはいけません。自分が書いているものを全肯定はしませんが、出来るだけ面白いものを皆様にご提供出来るように日々精進いたします。もう少しだけお待ち下さい。絶対に損はさせませんので。
担当者:山本善之
奈良県出身。1992年10月15日生まれ。
大蔵流能楽師狂言方 戯曲家 演出家 役者6歳の頃四世茂山忠三郎倖一に師事、現在は五世茂山忠三郎良暢に師事。二十歳で「千載」を披く。舞台を中心に能狂言問わず様々な公演にて活動中。
主な出演作品は、狂言風オペラ「フィガロの結婚」(ケルビーノ/蘭丸役)演 藤田六朗兵衛、「繻子の靴」(国王役 他)演 渡邊守章 等
تعليقات